本日もお越し頂きありがとうございます。
「禁酒法」にもまれ中のウイスキーを愛する料理人(休業中)です。
今回のテーマは
「『禁酒法』を乗り越えたウイスキー
『禁酒法』を逆手に取ったウイスキー」!!
ウイスキーの歴史を見ていく上で、ものすごく重要なポイントとなる『禁酒法』
1920~33年まで、ちょうど今から100年前にアメリカで施行されていたこの法律は、
『最も高貴な実験』と揶揄されるほど、
愚かなザル法でした。
禁酒運動が高まったアメリカで施行された法律ですが、禁酒法が施行されてからギャングが暗躍し、密造酒が横行。
街の治安は悪化し、一説によると禁酒法前より飲酒量が増えたという記録もあります。
そんな禁酒法時代は、アメリカだけでなく多くの国がこの法律の被害を受けました。
ところが、その禁酒法を逆手に取ったウイスキー蒸留所があったことも事実!!
[sitecard subtitle=禁酒法について詳しくは…… url=https://www.yaffee.work/entry/kinsyuhou target=_blank]
このように禁酒法は多くのウイスキーの命運を分けました。
そんな禁酒法に近い状態となっているのが今の日本です!!
ということで、今だからこそ「禁酒法」にまつわる
- 「禁酒法を乗り越えたウイスキー」
- 「禁酒法を逆手に取ったウイスキー」
のストーリーをまとめて紹介したいと思います!!
ぜひこんなご時世ですが、皆様の活力になるようなウイスキーのストーリーをお伝え出来たらなうれしいです。
『禁酒法』を乗り越えたウイスキー
『禁酒法』を逆手に取ったウイスキー
禁酒法明け、大々的な演出をして大ヒット!! デュワーズ
デュワーズの敏腕セールスマン「トーマス・デュワー」。
禁酒法以前、トーマスは西部開発で景気好調だったアメリカ市場にデュワーズを売り込みました。
その時にお世話になったのがあの鉄鋼王”アンドリュー・カーネギー”!!
世界2位といわれる資産を所有していたスコットランド出身のアメリカの富豪です。
カーネギーと交友があったトーマス。
カーネギーの計らいもあり、当時のベンジャミン・ハリソン大統領にデュワーズの樽をプレゼントしています。
その結果、「ホワイトハウスには、デュワーズが常備されている。」とアメリカで人気となりました。
他にもトーマスは「ハイボールの起源」となるストーリーを残していますが、
禁酒法にまつわるストーリーも残しています。
それは禁酒法明け、
トーマスはこの時を狙っていました。
デュワーズをたっぷりと積んだ船を港沖に待機させ、禁酒法解禁とともに上陸させたそうです!!
このパフォーマンスが、よりデュワーズ人気に拍車をかけたのだとか!
待ちに待った解禁に大きなパフォーマンスをしたトーマス、そしてデュワーズ。
ある意味禁酒法を逆手に取ったウイスキーかもしれませんね!!
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このブランドが誕生したのは禁酒法で捕まったから?? J&Bレア
1880年代、スコッチブレンデッドウイスキーが飛ぶに売れていた当時、
J&B社は「J&Bレア」の前身ともいえる自社ブレンデッドウイスキー「J&Bクラブ」をリリース。
このウイスキーでウイスキー産業に本格参入し始めます。
そして、この開発に携わった協力者の知り合いが入社してきます。
エダム・タサムという名前の人で、とっても魅力あふれる人だったそうです。
彼が取締役になるのにそこまで時間はかかりませんでした。
そして時が経って、1929年。
裕福なアメリカ人の依頼で、ウイスキーサンプルをもってアメリカに出張していたエダムは、警察に逮捕されてしまいます。
罪状は、大量にウイスキーを持っていたこと。
この時アメリカは禁酒法真只中。
ウイスキーを所持しているだけで逮捕されてしまう時代でした。
こうして「J&B」の新商品創設は危機的状況となってしまいました。
逮捕後、やっと釈放されたエダムはあるブレンダ―と出会います。
そのブレンダーと「J&Bレア」の開発に着手。
この時禁酒法明けのアメリカでは、
「淡い色合いの優しい味わいのウイスキー」が売れる確信があったのだとか。
こうした味わいを求めて完成したのが「J&Bレア」
危機的状況をうまく乗り越えて、出来上がった「J&Bレア」は禁酒法明けのアメリカで大ヒットしました。
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「本物の味はこれだ!」とギャングをぎゃふんといわせた一本 カティーサーク
禁酒法でウイスキーといえば、
「カティサーク」!!
それもカティサークは、禁酒法時代真只中のアメリカに向けて誕生したウイスキーだからです。
カティサークは1923年BBR社というイギリスの会社が立ち上げたブランド。
アメリカ禁酒法に向けて、「ライトで飲みやすい」味わいのスコッチを誕生させました。
そして当時、イギリスで話題が持ち切りとなっていたティークリッパー「カティサーク」号の名前を借りることに!!
この名前から誕生直後にイギリスでヒット!!
そしてすぐに禁酒法真只中のアメリカへ「密輸」しました。
この時カティサークを運ぶ船の船長となったのは、
ウィリアム・マッカイという人物。
粗悪なニセモノアイリッシュやスコッチが流通していたアメリカ。
そして、ニセモノを売りさばくギャングどもに
「これが本当の酒だ!
これが本当のスコッチだ!!」
と突きつけます。
その酒を飲んだギャングたちは味に感動。
「マッカイの持ってくる酒は本物の味」
と広まっていきます。
そしてマッカイは、「リアル・マッカイ」という愛称でギャングたちに呼ばれるようになっただとか。
当然禁酒法時代に「本物の味」として広まった
「カティサーク」。
禁酒法明けには、人気が爆発しました!!
ちなみに、カティサークのラインナップには「プロヒビジョン(禁酒法)」という名のウイスキーもあります。
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「これは酒じゃない、消毒液だ」!! ラフロイグ
英国王室御用達。
好きか嫌いかはっきりと分かれる「ラフロイグ」。
このお酒は、すっごく強烈で個性的なスモーキーフレーバーが特徴です。
そしてラフロイグは、アメリカ禁酒法をこの強烈な個性を生かして生き延びました。
それは……
「これは酒じゃない、消毒液だ!!」
こうラフロイグ蒸留所は言い張り、アメリカに正規で輸出し続けたこと!!
そして「飲める消毒液」として禁酒法時代のアメリカで合法的に販売していました。
他にも同じように「薬」としていくつかのウイスキーは販売していたそうです。
ラフロイグのような癖は全くないですが、バーボンのアーリータイム、フォアローゼズなどがこの方法で生き残っています。
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アルカポネも運んだ!?本物の味 カナディアンクラブ
クリアで、ライトな味わいが特徴のカナディアンクラブ。
禁酒法以前のアメリカやカナダでは、樽売りが当たり前の時代。
小売店で混ぜ物ができないように、瓶売りを始めたのがカナディアンクラブという話もあります。
そんなカナディアンクラブは
「カナディアンウイスキーの先駆者」
としても有名。
繊細でクリア、ライトな味わいというカナディアンウイスキーの特徴を決定づけた銘柄でもあります。
そんなカナディアンクラブは、川を挟んで反対側がデトロイトという、
まさに禁酒法の抜け道にはピッタリな蒸留所でした。
現に禁酒法時代に川の地下を通るトンネルを掘って、密輸していたのだとか……。
そんなカナディアンクラブは、アルカポネをはじめ多くのギャングが買占め、アメリカで販売されていました。
粗悪な密造酒が横行するアメリカで、
本物の味が飲めるのが「C.C(カナディアンクラブ)」という認識が広まっていきます。
またアメリカからも近かったということで、蒸留所には多くのアメリカ人観光客がきたそうです。
そして本物の味として広まったカナディアンクラブは、
禁酒法中から明けにかけて大きな利益を上げることに成功しています!
カナディアンクラブこそ、禁酒法を逆手に取ったウイスキーNo.1だと思います!!
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最後に……
最後までお読みいただきありがとうございます。
今回のお話いかがだったでしょうか?
ただいま、このザル法に近いものが日本で施行されています。
果たして、この規制に意味があるのでしょうか?
根拠のない規制に多くの飲食店、そして飲食店関連の企業から悲鳴が上がっています。
ウイスキーブロガーである僕にできることは、
こういった禁酒法に負けなかったウイスキーのストーリーを伝えていくことだと思っています。
どうか皆様の活力になりますように。
そんな願いを込めて、今回のウイスキーのストーリーをウイスキーラバーの皆様にお届けしたいと思います。
それでは良いウイスキーライフを!!
また次回もよろしくお願いします!!
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